思いっきり泣いてもとがめられない場所が欲しかったのかも
せっかくの3連休なので、最初の記事に書いたこの本のワークをまだやってるんです。
本の内容を全部とりあえず読んで、「号泣ワークは一番最初にやっているというので、一番最初に」。他の細かいワークについては、「もう一回読んでから」と思っていたんですよね。
で、最初から読み直してみて思ったのが、「私、思いっきり泣いてもとがめられない場所(人)が欲しかったのかも」ということ。
泣けば叩かれる家庭で育ったのもあったし、子育てが始まってからは自分にプレッシャーをかけ続けてきたから、「こんなことで泣いてはいけない」「泣いてなるものか」という思いがどこかにあったんじゃないかという気がするんです。
自分の状態を確認して、今持っている感情がなぜ起こっているのかを見つける。その上で、自分の感情を受け入れる。そういう仕草が私に足りていないんじゃないかと思ったのです。
「ここでなら、泣いてもいい」「ここでなら、思ったことを吐き出していい」そんなことは、自分で自分に許可すればよかったのに、それを他人に任せてしまったから、変なことになったんじゃないかな。
なんか、そんな気がします。