40代前半。バツ2。婚活(?)はじめました。

バツ2。アラフォー。性懲りもなく婚活始めようと思います。

バツ2。婚活の第一歩に自己改革を試みる。

40代でバツ2。結婚はもうこりごりと思っていたのですが、「やっぱり、パートナーがほしい」。

 

でも、今までの結婚はどうもダメ男を引っ張ってきてしまったのか、ダメ男にしてしまったのか、ダメだったので…。

 

まずは自分の何がダメだったのかを洗い出そうと思ったのです。

それで、結婚物語https://twitter.com/NakoudoT)さんが紹介していた本を読んでワークをやってみることにしました。

 

どうして「ハイスペ男子」なのか、というと私の年収がほどほどなのでハイスペとまで言わずとも同じくらいの年収の男性じゃないとちょっとさすがに…。

 

ハイスペ男子に好かれるくらいに中身がちゃんとしていれば、同じくらいの年収の人でもなんとかなるのでは?という下心がある。というわけです。

 

恋愛弱者のまま妥協で結婚するから2回も失敗するのでは?

そもそも2回も結婚に失敗したのは、私自身の中身がまずいからなのでは?

2回とも、私のことを親代わりにする男たちだったのは、それは似たような男を選んでしまう自分自身が悪いのでは?

そういえば、独身時代に恋に落ちた相手もそういう気配のある男だった。

 

そんなことを思い出して、「これは自分自身を改革しないと、恋愛をするたびに家族に迷惑をかける」と考えたのです。

もう40過ぎてるので、変な相手と結婚すると私に何かあったときの遺産がそっちにいってしまう(それも半分も!!)みたいなところもある。

 

それで、ふっと目にした結婚物語さんのブログで紹介されていた本を1からやってみることにしました。

 

ワークは色々あったのだけど、やってみてよかった!と思ったのがこの号泣ワーク。

 

感情を許可し過去と向き合うことで自分の望みがわかった

号泣ワークは、過去に悲しかったことや辛かったこと(ネガティブな感情を持ったこと)を書き出し、そのときの感情に注目し、「その感情を持ってもいいし、今あらわにしてもいい」と自分に許可するワークのこと。

 

同じ出来事にフォーカスしてもいいけど、私はモヤモヤといつまでも残っていた複数の出来事についてやりました。

 

半日くらいかかったかしら。

 

そこで見えてきたのは、私自身が「自分でなんとかしなくちゃ」「失敗は許されない」「助けは来ない」というきつい縛りを自分に課していたということ。

そして、「本当は誰かに助けてほしい」「本当は泣きたい」「無理だと叫んで逃げたい」「誰か話を聞いて」「一緒に責任を感じて」という願いがあったということ。

 

結果、「スポンジが水を吸うように話を聞いてくれる」「そばにいて慰めてもくれる」けれど、「過去のことではなく目の前で何かトラブルが起こったら、尻込みして全速力で逃げ、全責任を私に押し付ける」クソ男を渡り歩くことに…。

 

完璧にできなくてもいいし、自分だけで背負う必要はなかったし、助けを求めて助けてもらえないなら助けてくれる場所に行けばよかっただけなのにね。

「どうせ…」という思いが自分を締め付け、「この人だけが聞いてくれた」という妙な恩が「金蔓扱いされてる気がするけど、話を聞いてくれる人だし」と、ダメ男をそのまま飼うことにつながったのかなと思いました。

 

なんてクソッタレなんだ。

子供の頃の出来事も思い出して我慢していた気持ちを吐き出す

大人になってからの出来事もそうだったけれど、そもそも「どうせ…」と思ってしまっている原因は子どもの頃の出来事がきっとある。

 

ワークの中に「インナーチャイルドを癒す」というものがあって、それは号泣ワークを子どもの頃の出来事にフォーカスしてやっていくというもの。

 

これもやってみたら、ずいぶん楽になりました。

「ああ。わたし本当は泣きたかったし、嫌だったんだな」

「怒りたかったけど。怒れなかったんだな」

 

そんな思いが溢れて、ボロボロに泣きました。

頭の中に描いた子どもの頃の自分をぎゅっと抱きしめてやると、不思議なことに今の自分が楽になったんですよ。

我慢しなければならない。自分だけ犠牲になればいい。を超える

今までは何かと「母親なんだから」「自分で決めた選択なんだから」「仕事だから」と我慢してきたし、理不尽があったとしても「自分だけが犠牲になればそれでいいんでしょ」と考えて行動してきた節があるけれど…。

 

自分自身を傷つけないためにも、いい人生観を持つためにもこの部分の意識改革は絶対に必要と感じました。

 

だって、ここが変わらないとまた変な相手を引いても「だって、バツ2を相手にしてくれる人なんてそうそういないし(我慢しなくちゃ)」「お互いあまりもの同士なんだろうから(わがままは言えない)」なんて、耐えれるラインまで理不尽に耐えて、耐えきれなくなったときに「もう無理」ってなるのが目に見えているから。

 

号泣ワークはスッキリするまで何度もやる

一回やってみたけれど、40数年生きてきて染みついたネガティブな考えや思いはそうそうなくなるものじゃないみたいです。

 

やって10日くらいはスッキリはしたけれど、しばらくしたらまたなんとなくモヤモヤ。

 

何回もやってみて、自分の心の傷を癒してあげようと思います。

だって、ネガティブでなんとなく影がある人ってモテないでしょう…?

傷があったとしてもちゃんと乗り越えた人の方が美しいと思うし。